HOME CREATORS ACTIVITIES ARTIST SUPPORT PROGRAM OPEN CIRCLE AFL COLUMN ART IN A WALK LIFE IS ART LINKS
:: ABOUT US :: CONTACT US :: WEB SITE POLICY ::
 
 


-----------------------------------------------------------------------------

 ノートルダム寺院のあるシテ島からセーヌ川を渡ったパリ五区は、カルチェ・ラタンと呼ばれる昔からの文化の中心で、とりわけここからパリ六区に至る川岸と、それと平行にはしるサン・ジェルマン大通りの間は、多くのギャラリーやカフェ、ブテックが立ち並ぶにぎやかな場所である。戦後のエコール・ド・パリの中心はモンパルナスからサンジェルマン・デ・プレに移り、ベルナール・ビュッフェなどの若い画家達はほとんどここからデビューした。サン・ミシェッル大通りに沿って一本内側に入ったところにあるジ・ル・クール通りは、中世のパリの迷路に迷い込んだような静かな細い通りだが、やはり複数の画廊が軒を並べている。1月13日の第一回〈メルキュールの夕べ〉展のヴェルニサージュの夜は、ウェイラー画廊の小さな間口から通りにまで溢れて談笑する人々が、グラン・ゾーギュスタン岸を歩く通行人の目を引いた。

 〈―メルキュールの夕べ〉とは在仏50年になる画家田淵安一の呼びかけで集まった、パリで活躍している日本人アーチストたちの勉強会である。彼らはいずれも在仏20年以上のベテランで、特定のグループに属さず独自で活動し、フランスでも日本でも作品の発表を続けている。〈メルキュールの夕べ〉は作家グループでもエコールでもない、むしろ作風も考えも異なる独立したアーチスト達が、お互いの意見を交換することによって新しい美術の方向を見出そうというのが目的で、2003年5月に発足した。会合は2ヶ月に一度、パリ郊外のヴォアラン村の田淵の自宅で水曜日の夜に行われることから、ギリシャ神話の神、マーキュリーにちなんでそのフランス語読みのメルキュールが会の名前に選ばれた。当初は作家中心の集まりであったが、今では美術館学芸員、ジャーナリスト、ギャラリー関係者の参加も増えた。

 前回の9月の会では、今回の展覧会にも参加している松谷武判の作品をめぐり、作家自身の発表に基づいて、〈現代絵画における偶然性と作家の意図〉などのテーマで激しい議論が繰り広げられた。松谷の作品は、水性ボンドを使ってキャンパスから滴り落ちそうな塊や、なにかを孕んだ様なふくらみを形成し、その上に黒鉛を丁寧に描き込めていくというオリジナルな素材と技法で特徴付けられる。水性ボンドは、松谷が日本で具体美術協会に所属していた1960年代からこだわり続けている素材で、作品がまるで生き物であるかのような滑らかな質感、またはエロチズムさえ感じさせる。その生々しさを覆い隠しているともいえる黒一色の画面は一見無機質にも見える。しかし、その黒を重ねると言った行為が、松谷にとっては時間を塗り重ねる行為であり、谷崎潤一郎が『陰翳礼賛』の中で漆器の美しさを「幾重もの《闇》が蓄積した色」と表現した黒と言う色の深さと美学を生み出しているようにおもわれる。森山裕之は、やはり白と黒のみを使った作品を発表しているが、手法はよりシンプルで純粋なタブローに近い。しかしながら、アクリル絵の具でキャンパス上に定期的に繰り返されているように見える不定形でありながら形も色も制限されたパターンは、実は巧妙に計算されていて、リズムと緊張感が張り詰めた画面は心地よささえ感じさせる。

 以上の2人が何かしら日本人的な感覚を表現の中に持っているとすれば、異色と言えるのは宇津宮功の作品だろう。東洋的でも西欧的でもない、強いて言えばアフリカのプリミティヴアートを思わせる人物や動物モチーフ、それらが画面の中でゆがめられ、ほかの形や色と交じり合う混沌。それは作家自身の心の中の風景であり、どの時代のどのアーチストも比較することが不可能な、多くの批評家が彼自身の《神話》と呼ぶ、〈ウツミヤワールド〉である。

 より〈素材〉の可能性にこだわった作品を発表しているのは甲斐雅之と新庄茂扶である。甲斐は地面に埋めて腐食させた布をキャンパスの上に再構成させている。画面は〈地〉の色に満たされ、微妙な色の違いでできた染みは地図のような模様を描く。彼にとっては、地球そのものをキャンパスに再現しようとするようなこの制作の手法の行為自体がすでに、アートなのだろう。一方新庄の場合、その素材は紙である。捻られ、重ねられた紙はひとつの塊になる。そして釘打たれ、表面を焼かれたそれらの一連の作品は、『Love letter』と命名されることにより、紙という物質から離れ、新たな物語を持って、独り歩きを始めるようにおもわれる。

 紅一点の森光子は幾何学図形をモチーフにして、定規とコンパスを使って絵を制作する〈用器画〉の手法に基づいた、『五角形の変容』というタブローの作品とネオンによるインスタレーションを展開している。〈円〉と〈五角形〉というシンプルで普遍的な図形の中に、森は色彩と作図法の微妙な組合せを持ち込むことにより、無限な変化を生み出す知的な作業を追及している。

 この会の発起人である田淵安一は、1951年にフランスに渡り、やはりサンジェルマン・デ・プレのリュシアン・デュラン画廊でデビューした。以後半世紀以上の作家生活をパリで送っている。戦後のパリの具象絵画と抽象絵画の激しい主導権争いの時代にあり、抽象側の担い手の一人として独自の〈イマージュ〉を追い求めてきた。松谷や森山の作品が『陰翳礼賛』的な日本の美学を継承しているとすると、田淵の場合は桃山文化に代表される《絢爛》さを、マチスや中世のキリスト教絵画といった西洋文化とともに消化して体現している。彼の生み出す〈イマージュ〉は、常に東洋と西洋の精神的な思想に裏づけされている。彼の描く《花》は美しき《花》であり、世阿弥の説く精神の《花》でもある。また金色の空間は屏風のような装飾性だけではなく中世キリスト教に表現されている〈永遠性〉をも表現している。

 個性の異なるこれらのアーチストたちに共通する問題点を挙げるとすると、それは〈パリに住む日本人作家〉ということだろう。それは多かれ少なかれ何かの形で彼らの生き方にも作品にも影響している。1913年にパリに着いた藤田嗣治は、西洋絵画の技術を学ぶだけでなく、自身のオリジナリティーでこの地で勝負しようとしたおそらく最初の日本人アーチストだろう。それから1世紀になろうとしている今、〈メルキュールの夕べ〉のメンバーは確実にそして着実にその裾野を広げている。そして日本においてはエコール・ド・パリ以後ノスタルジックに語られがちなパリ、まだまだシンプルなものやジャポニズム的なものだけが日本人の芸術と思われているフランスにおいて、パリ発〈ラール・ジャポネ・コントンポラン〉の多様性を提示する展覧会になったのではないかと思う。

山地治世(Feb.2004)

Back
WORLD ART SCENE INDEX
▲このページのTOPへ