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 朝倉彫塑館

根谷千。ねやせん。これ、則ち根津、谷中、千駄木地域をまとめた通称のこと。この春、毎週のように渋谷から千代田線に30分乗り、ここまで「散歩」に来ています。下町と山の手ということばの縮図のような、それぞれの楽しさが味わえる特異な地域。不忍通り界隈や日暮里駅周辺は、有名な谷中銀座や繊維街があり、縁日のような活気と楽しさ。かたや少し坂を上れば、一転して寺と古い家並みの続く閑静な別世界。西洋との出会いの衝撃のなかで生きた文明開化のアーティストたちが暮らした街。猫しか通れないような路地を曲がるといきなり時代を見紛う建物が現れる。そこに人が暮らしている。昨今の『和』ブームで随分、観光客も増えていますが、「目指すは何」という見方より、この町の日常を、季節を感じながらただ味わう、まさに散歩が似合う町です。
その途中ぜひ寄って欲しいのが、谷中墓地から駐在所前の路地まっすぐの道端にある、朝倉彫塑館。朝倉文夫といえば猫のブロンズ、大隈重信像など有名作品を数多く作り、生前から大成功した彫塑家。彼が塾、アトリエ、居室として自らデザインし増改築を重ねた自宅を昭和61年に台東区が一般に公開しました。
当然、彼の代表作品群、貴重な資料を展示したショーケースも見られます。しかし、もっとも素晴らしいのは、彼の生活の価値観を体感できること。
明治の日本に生まれ、強い意志と美意識を持ったひとりの芸術家が、制作と生活の場でどう日常を過ごすことを好しとしたのか。それを経済的にも恵まれた状況下で、自らのデザインにより箱庭のように具現化した館なのです。当時としては超モダンだったであろうコンクリート打ち放し3階建ての玄関を入ると、床にせり上がり装置付き天井高8.5mの吹き抜けのアトリエ。しかし大きな正面の窓の向こうには廊下が庭園をぐるりと囲んだ純日本庭園が。そう、正面からは想像できませんが鉄筋コンクリートの裏側は、純和風数寄屋造りなのです。

 

自然の湧き水を引いたこの庭に朝倉は、儒教の五常を造形化した大石を配し、それを眺めることで自己反省の場としていました。高く天窓からの光が降り注ぐアトリエでの制作は、動であり攻撃的な時間だったのかも。そして、フローリングのアトリエから一歩、足の裏に畳の暖かさを感じる廊下を渡り、四季折々白い花が咲くという庭を望む居間に至るまで、建具、植栽すべて、閉ざされた空間のどこに目を向けても隙なく粋な配置が成されています。アーティストとしての理想の生活、自分に必要な空間について、朝倉がはっきりとイメージを持ちそれを形にしたことに感嘆します。
朝倉文夫という人は、同時代の芸術家たち・・・洋画の黒田清輝や彫塑の萩原守衛がみなこぞってパリを目指しパリに学んだ中、一度も渡欧しませんでした。黙々とモデルと向かい作品を造ることによってのみ、彫塑という西洋芸術を追究した人です。彼はロダンを見ずに、自然だけを見て学んだ。そのアカデミックな作品イメージとは裏腹に、ある意味アヴァンギャルドな人だったのかも。それは、外にある新しいものを追求することが進歩ではないという信念だったのかも知れない。そして自分を掘り下げるために心地よい空間、こうありたい暮らし方を追求した。彼についての解説は、専門家に譲るとして、この居間に座り雨に濡れた石を見ていると、どこか呼応する不思議なおちつきを感じるのは私だけではないでしょう。

数寄屋造り棟の2階は日当たり良く、畳に座って庭を見下ろすと孔雀に似た不思議な花を付ける楓の新芽が間近に見えて、うららかに憩げる空間です。コンクリート棟のアトリエ上には、驚くほど大きな座卓と広い床の間を持つ客間、多い時で10数匹いたという猫をモデルにした有名な作品群、そして屋上にはまた驚くほど立派に育ったオリーヴの樹とバラ園があります。ここからの眺めも谷中墓地と寺町、上野の森まで見渡せて気持ちいい。

最後に心に残った展示品をひとつ。東山魁夷ら数々の著名人との書簡のなか、同郷(大分県)の出身である当時の横綱双葉山の書簡があり、その毛筆の素晴らしさに打たれました。求道的で真面目な姿勢で人望厚く、右目が見えないながら明治最後の名横綱となった彼との往復書簡。いわゆる学歴なんてないはずなのに。内容までは読めませんでしたが自分の道に真摯に当たった黎明期の文化人同士の、連帯レベルの高さ深さを見た思いでした。

[Mar.2004 桜井純子:AFL]

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